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「うち、寄ってく?」


その日の夕方、借り物自転車に乗る宗介の背で、かなめはこう言ったのだった。

今はもう放課後だ。ちなみに、朝靴箱に入っていたのは椿一成からの果たし状だった。

彼ら二人はほどよくまわりに被害を与えつつ、その件も一応は事なきを得た。

かなめのことを話すと、一成は『バイト用の自転車が近くにある』などと言って、なんと自転車の鍵を貸してくれたのだ。

ぶつぶつと悪態をつきながらも、彼はその鍵を投げてよこした。これは二人にとっても本人にとっても意外な出来事だった。



「何?」

「その。色々と今日は助けてもらったし。・・・夕食、食べてかない?」

「・・・・・・」


そもそも、その面倒事の原因は俺のはずだ。

ここで一言謝り辞退するべきなのだろうが、とりあえず礼儀云々は無視することにした。自分に向き合い、素直になることも大切だ。


「わかった。世話になる」

「じゃ、さっさと行く!ゴーゴーゴー!!」

「了解」


かなめを乗せた自転車は、夕闇に紛れて急発進した。

雨上がりの路面から、少しだけ水飛沫が飛んだ。







いつもどおり、彼女の料理は美味しかった。

ご飯付きのカレーだったが、最近はそれでもいいかと思うようになった。単純にそれでも美味しいからだ。

夕食を終えると、宗介が彼女のかわりに皿を洗う。

そのあとの二人は、わりとどうでもいいような議論を繰り広げたり、テレビをだらだらと見たりして過ごした。

途中から見たその番組もすぐに終わってしまった。

かなめが、TVがを消すなりベッドに倒れこむ。


「どうした。具合でも悪いのか」

「んなワケないでしょ。こうしたい気分なの」

「そうか」


宗介も、そのベッドの横に腰を下ろした。


「・・・・・・」


テレビを消すと、部屋はとたんに静かになる。特にこれといった話も浮かばないし、互いの顔が見えるわけでもない。

だが、今朝の学校とは違って、ここが不思議と心地よい空間に感じられた。


時計の秒針が鳴る音だけが響く。

宗介の腕時計が示す時刻は、二二○○時。だいぶ遅くなってしまった。


『そろそろ帰る』


何故だか、今日はこの言葉がうまく出せない。かなめも言おうとしなかった。

だが、このままずっと居続けたら・・・・・・何かよくないことが起こるような気がする。


(・・・何だ、これは)


宇宙に傾きかけた思考を断ち切るようにして、ぶるぶると頭を振った。


「ソースケ」


衣擦れの音とともに聞こえる、彼女の声。

わけがわからないうちに混乱していた宗介は、現実に引き戻されてほっとした。


「なんだ」

「昨日は、ごめん」

「・・・・・・いや」


昨日。

人前で、彼女が初めて泣いた日だった。

彼女は人通りの多い廊下で突然泣き出し、彼の胸にしがみついて肩を震わせた。


『これで、やっと・・・フツーの生活に、戻れたんだよね?』


あれから、その言葉が頭について離れない。それに、そのとき感じられた彼女の体温と感覚もだ。

彼女がいつもそばに居る、『普通の生活』。その幸福と重要性を、ここ数日間で彼は痛いほどに実感していた。

結局かなめはその件について何も言わなかったのだが、おそらく似たような思いをしているに違いない。

だが、それを訊くまでの勇気が彼にはなかった。

それを考えるたび、自分の無力さと情けなさにどうしようもないほどの韜晦の念が胸に押し寄せてくる。

しかし、今日はそれをやめた。自分に素直に向き合うのが大切なのだ。


「辛かったか」

「・・・。べ、別に」


宗介の意外な言葉に、かなめは少し驚いたようだった。そして、再び彼女が口を開く。


「まあ、色々とあったけどね」

「そうか」

「あんたこそどうなのよ」

「・・・同じようなものだ」

「あっそ」

「問題ないぞ」

「ふふ・・・あたしもだよ。問題ない」


かなめがベッドから身を起こして、宗介に微笑みかける。彼はあわてて視線を外した。

不思議に、さっきまでの違和感や心の葛藤が消えたような気がした。


多分、もう大丈夫だ。



「・・・では、そろそろ帰る」


この言葉が、今度はすんなり出てきた。かなめもたいして気後れする様子も見せず、素直に応じた。

それに、彼女の態度がいつもと比べて微妙に優しく感じる。何故だろう?

そんな彼の疑問をつゆ知らず、彼女はけなげにも足を引きずりながら玄関までついて来た。


「無理するな。また転びでもしたら長引くぞ」

「転ばないわよ」


まさにその瞬間、その段差からかなめの片足がずり落ち、彼女の体がこちら側に傾いた。


「きゃっ!?」


すかさず宗介が彼女の体を受け止める。その勢いで、彼の背中が扉にどんと当たった。

そこで、異変が起こった。

数瞬経たないうちに、たちまち視界が真っ暗になったのだ。


「・・・・・・?」


部屋の電気が消えていた。敵ではないようだ。玄関横のスイッチが、今のはずみで押ささったのだろうか?

いや、それよりも――

彼女が、まだ自分の胸の中にいるという現実が、彼を余計に動揺させた。

ほんの数枚の布切れを通じて、かなめの柔らかい感触と体温が伝わってくる。


「ち、ちどり?」


思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

引き剥がそうにも、『じっとしてて』といわんばかりに彼女の片腕がそれを制した。

全く、逃げ場がない。胸の辺りがひどく息苦しい。

行き場のないもどかしさは彼の腕で行き詰まり、びくりとその手を震わせて、そのまま消えた。



宗介はそのまま扉に寄りかかり、何もない天井を仰ぎ見た。そうするより他がなかった、というべきか。


「・・・・・・・・・・・・」


どれくらいの間そうしていただろうか。

不意に彼の視界が明るくなった。


「ありがと」


さっぱりとした口調に、すこしはにかんだような彼女の顔。

『何を?』と訊くひまも与えず、かなめは彼の背を押して半ば無理やり外に追い出した。

きょとんとする宗介に、かなめがもう一度微笑みかける。


「じゃーね。また明日」


扉が閉まる。


















思うに、それは照れ隠しだっただろうか。そして、あれは・・・・・・多分、わざとだ。




今の自分なら、なんとなくわかる。




目を開けた。


「ソースケ。食事中になに寝てんのよ」

「・・・いや」


目の前には、あの日と同じカレーの食卓。そして、ここはあの日と同じ彼女の部屋。

ごくごく普通の、幸せな生活だった。


「何かあったの?」

「問題ないぞ」

「あっそ」


ただ少し違ったのは、少し大人びた彼女の風貌。

その左手に、何かが光った。












END










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プルメタ二号掲載用に書いたクロギュのそーかな小説デビュー作(?)。

微妙に好評だったようで嬉しい限りです。

ぶるめだにしてもなんにしても、私はテキスト書き始めてから完成するまでかなり時間かかるのですよ。

これは最初の数行書いてから「もうだめだー」とか思って二週間くらい放置し、
さらに続きをかいてまた「もうムリ」とか思ってまた一週間くらい放置し、
〆切直前になってやっと神が降臨して書き上がるという…なんとも無計画な書き方でした。

前回のもさしてかわりないんですけど。



またそのうち神が降臨してくれることを願いつつ。


……がんばります。





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