突然色々な感情が込み上げてきて、視界が滲んだ。


これで。これで、やっと元通りの生活なんだ。もう、大丈夫だ。ソースケも、ここにいる。「問題ない」って言ってくれる。


そうは思っても、一度出た涙はとどまることを知らなかった。

ああ、もう。みんなが見てる。とんだ恥さらしだ。

宥めるように背中に回した彼の手が、暖かくて仕方がなかった。だから、余計に涙が出る。

どれもこれもアイツのせい。





ここ数日間であたしは色々なことを学んだ。



そして、今の自分に出来ることはなんだろう?



かなめは腫れ気味の目をこすると、カーテンを開けた。









intrigue










1











ここは、東京都立陣代高校。

夏の気配もすっかり薄れてきた頃だ。少しだけ冷たさを帯びた空気が、朝の日差しをいっそう爽やかなものにしていた。

天気は快晴、気温も良好。

連日続いた雨がやっと明けたせいか、生徒たちも心なしか足取りが軽く見える。



しかし。


「…むぅ」


ただ一人、相良宗介だけが深刻な面持ちで靴箱を凝視していたのだった。


「またか…・・・」


例によって、例のごとく。季節は変わっても彼の行動パターンは相変わらず進化しない。

ため息を一つついてから、彼は靴箱に粘土状のものをぺたぺたと貼り付け、おもむろに怪しげなリモコンを取り出した。

それに気付いたクラスメイトが、見かねて彼に忠告する。


「おい、相良…やめろって。んな危ないモンなんて入ってるわけねえだろ」

「だめだ」


宗介は、重く言った。


「命に関わる問題だ。君達を巻き込むわけにはいかない。ここから離れろ」

「お、おい」


その行動が皆を巻き込むということを、本人は全く理解していない様子だ。

宗介は、無理矢理にクラスメイトを追い出してから、「KEEP OUT」と書かれた物々しいテープをあちこちに張りめぐらした。

一連の作業を終えた彼が、ぐるりを見渡し生徒達に警告する。


「いいな、皆。耳を塞ぎ口を半開きにするんだ。ではいくぞ!」


リモコンを持ったその指に力をこめる。そして、


――ポ


「やめんか、この戦争ボケ男がぁっ!!!!!」


ガスッ


彼がポチっとボタンを押しきるより前に、かなめの飛び蹴りがその後頭部にクリーンヒットした。

無言で地面に突っ伏す宗介に、かなめは幾度と無くスタンピングを繰り返す。


「進歩ってもんがないの、あんたは!?ここに来てから何ヶ月たったと思ってんのよ!!!」

「約六ヶ月だ。…待て。痛いぞ、千鳥」


かなめはまだ飽き足らず、攻撃を次々と仕掛けてくる。

激しい連撃に耐えながらも、苦労して起き上がろうとする宗介。

そのとき、予期せぬ事態が起こった。


「あっ?」


宗介の背にどけられたかなめの足が、その場にあった「KEEP OUT」のテープに複雑に絡み合い…


「きゃっ!!」


かなめは、その場で勢いよく転倒してしまった。


ここは、生徒用の正面玄関である。当たり前ではあるが、多少なりとも段差は存在するわけで、


ぐきっ


その場所が悪く作用したようだ。かなめの転倒とほぼ同時にいやな音が玄関一体に響き渡ったのだった。






「そ、その……千鳥。すまない」

「……」

「大丈夫か?」

「…………痛い」


一瞬殴られるかとも思った宗介だが、かなめはダメージは予想以上に大きかった。

涙をうっすらと溜めて、「あたた…」と聞こえないほどの小さい声で唸るだけなのだった。

ひどい自己嫌悪が彼の胸中に渦巻いてきた。


「千鳥」

「何よ。あんたのせいよ、あんたの!どう責任とってくれるの!?」

「すまん。全責任は俺が取る。まずは保健室だ」


言うなり、宗介はいわゆる『お姫様だっこ』で彼女を抱きかかえ、歩き出した。

かなめはたちまち真っ赤になって、スカートを抑えながら猛抗議した。


「ちょっと、やめてよ!パ、パンツみえちゃうでしょ!」

「は?」

「一人で歩けるから!いいの!!」


かなめが胸の中でじたばたと暴れたので、宗介は仕方なく彼女を下ろした。

かといって、かなめは無事に歩ける様子でもないようだ。強がってきちんと歩こうとはするが、やはりその左足に力が入らない。

彼女はその場にあった靴箱に両手をつくと、ぐったりと寄りかかった。


「うぅ・・・くそっ」

「カナちゃん。だいじょぶ!?」


親友の常盤恭子が、心配そうな顔で駆け寄ってきた。


「あ・・・キョーコ」

「あーあ。ほら、すごい腫れちゃってるよ」

「放っておくとろくなことにならんぞ。やせ我慢はよせ、千鳥」

「あんたのせいでしょーが…!!」


すぱん。

脱力気味のハリセンを一発見舞ってから、ぺたりとその場に座り込む。恭子はすかさず言った。


「はやく保健室連れてかないと!ね、相良君?」


どことなく、思わせぶりな口調。


「じゃ、もうチャイム鳴っちゃうから。相良君、あとは任せるからね!!きちんとカナちゃんの面倒みるんだよ?」

「うむ。了解した」


言うなり、恭子はぱたぱたと階段を登って走り去ってしまった。その親友がが本当に心配していたのかどうか、少し疑わしく感じた。

かなめがぽかんとしていると、宗介が彼女の前にしゃがんでその顔を覗き込んだ。


「千鳥。…いくぞ」

「…・・・」


冷静のように見えて、本当に心配している様子である。さらに、自分のせいということもあって本当に申し訳なさそうであった。

彼に犬の耳と尻尾があったとしたら、これ以上ないほどに垂れ下がっていたに違いない。

かなめはため息をひとつついて、


「わかったわよ。…せめておんぶにして。アレは恥ずかしすぎるから」

「よくわからんが、了解した」





さっきまでの人だかりと喧騒は、すっかり鳴りをひそめていた。

教室内とはうってかわって、この時間帯の廊下などはこんなにも静かなものなのだ。

なんとなく自分と彼女だけが異世界にいるような、不思議な感覚だった。


長い廊下を歩く。

長いといっても、ほんの数十メートルでしかないこの通路。

しかし、いつもより異様に広く、長く感じられたのは何故だったか?



かなめは、なんとなくそれを悟ってしまった。胸の辺りが妙に暖かく感じて、落ち着かない気分になった。


宗介は、なんとなくそれを悟ったような気はしたが…肩のあたりにに妙な違和感を覚えて、よりいっそう落ち着かない気分になった。








***




かなめの治療は、殊のほか順調に進んだ。

保健室のこずえ先生は「三日もすれば治りますよ。安心して」などとお墨付きまでくれたのだった。

とりあえず、大丈夫なようだ。宗介は内心ほっと胸を撫で下ろした。


「どうする。授業に出るか」

「ん・・・どうしようかな」


回転椅子をきしませて、かなめは軽く伸びをした。ついでに、欠伸も出た。

こずえ先生は、にこにこしながら二人の様子を見ている。特に口を出すつもりもないようだ。


「出ないのか」

「あんたは出なさいよ。一時限目は古典でしょ?あんたの場合、これ以上サボったら本気でヤバいんだから」

「・・・・・。出ないのか」


耳と尻尾が垂れ下がった。


「まさか、寂しいとか?」

「ち、違う。君を一人にするのが心配なだけだ」

「へぇー。あっそ」


それはそれで、なんとなく嬉しい。


「じゃ、いこっか」


おぼつかない足取りとは裏腹に、にこにこしながら彼の前を通り過ぎる。

かなめが礼を言って保健室を出ると、宗介はその後をあたふたとついて行った。





ホームルームが終わったらしく、何人かの生徒が廊下でたむろしていた。廊下にも朝の活気が戻ってきた。

怪我の割にやたら元気に歩くかなめの横で、なおも宗介は弁解を続ける。


「そうだ。教育は財産なのだ。それをただの気まぐれでサボるなど――」

「気まぐれじゃなくて、あんたのせい」

「う。・・・そ、その」

「もーいいってば」


かなめが目を細めて笑う。廊下の窓から朝日と秋風がほどよく差し込んで、彼女の髪がさらさらと揺れた。

宗介は、なんとなく俯いた。












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