かなめは、薄汚れた制服のまま電気も点けずにベッドに寝転んでいた。

涙はとうに枯れている。その後は、どうしようもない虚無感と罪悪感が押し寄せてくるだけだった。

つい昨日の朝まで横にいたあの白猫は、もういない。

母の面影をどこかあの仔猫に重ねてしまっていた自分。皮肉にも母と同じようにして、夢はあっけなく終わってしまった。


病院に着く前に、結局かなめは引き返した。もうとっくに息をしていなかったから。

それでも、彼女には納得できなかったのだ。心の底では無理だと知っていても、どうにかしたかった。なんて物分かりの悪い自分だろう。

身近な者の死。宗介はそれを数え切れないほど経験して、辛い思いをしているに違いないのに――

あたしは、また馬鹿なことをした。いつものつまらない意地っ張りで。結局なにもわかっていなくて。


『俺には、それしかない』


順安の時と同じ、あんな悲しい眼は二度と見たくなかった。そんな悲しいこと、言ってほしくなかった。

なのに、そうさせたのは自分なのだ。


(…ソースケ)


宗介はずっと彼女を待っていた。赤く目を腫らした彼女を無言で迎えて、結局何も話さずその猫を一緒に埋めた。

ただ、彼女を部屋まで送ってから、肩を叩いて『今日は早めに寝ろ』と一言だけ。

彼は本当に優しかった。




寝転んだまま、ベッドの横に手を伸ばす。


(もう、渡せないわよ…こんなの)


手に取ったのは、赤いリボンのついた小さな袋。

今日のことは、ずっと考えてきた。恭子とも話し合ったし、買出しにも行った。

学校で渡すにはあまりに恥ずかしいから、なんとか一緒に帰って、家に呼んで。それから――


「……っ」


耐え切れなくなって、かなめはクッションに顔を埋めた。

こんなことになるなんて、誰が予想できただろうか?

彼女は喉から漏れそうになる嗚咽を必死に飲み込んで、無理やり目を瞑った。










もう後悔なんてしたくない。こんな思い、たくさんだ。

今更あたしが思うのは我侭だろうか。

どうすればいい?

そう思っても、あたしの横には誰もいない。



(……お母さん)















「……ん」


暗闇の中、かなめはうっすらと目を覚ました。

暖房もなにも入れていないので、部屋はひどく寒い。寝そべったまま、のろのろとあたりを見回す。

そして、寝ぼけ眼で辛うじて見た時計の時間は――まるで、運命みたいだった。


11時59分。


「……っ!!」


かなめはベッドから飛び起きた。

これだ。これがきっと、母さんが、あの子が教えてくれた答えなのだ。

宗介の部屋まで、全力で走れば1分もしないうちに着く。

赤い袋だけ引っつかみ、コートも着ずに彼女は玄関を飛び出した。


(ソースケ!)


今日という特別な日が終わるまで、あと一分。終わってしまったら、もう何もない。

だが、今の自分に出来ることは見つかった。どうにかなる。まだ間に合う……!!


















「千鳥。…どうした?」


この真夜中に。こんな寒い夜に。

顔を火照らせ、息をすっかり上げて、コートひとつも羽織らずに、赤黒く汚れたままの制服姿で彼女は現れたのだ。

宗介が驚くのも無理はなかった。

そう言うと、かなめは目線を下に向けたまま、小さく言葉を漏らした。


「…あの、ね。これ、受け取ってほしいの」


両手で、彼の胸の前に小さな袋を突き出す。


「何?」

「受け取って。もらってあげて。お願い」


微かに震えている。身を切るような切迫感が、宗介にも伝わってきた。

宗介は怪訝そうな顔をしながらも、おそるおそるそれを手にする。袋はひんやりと冷たかった。


「ありがとう…ソースケ」


何故かかなめ礼を言った。下を向いたまま。


「…いや、もらったのはこちらなのだが…?」

「ごめんね」

「……」

「ソースケ。ごめん。……あ、あたしが……」

「…千鳥?」

「・……はっ……」


突然、彼女は両手て口を覆って…泣き出した。玄関の床に、その雫がいくつも滴り落ちる。


「泣くな」

「あぁ。……うっ、っく・・・…ソー…スケ」

「君は悪くない」

「……っ。う…」


それでも、涙は止まらない。さっき枯れたはずなのに、とめどなくあふれ出てくる。

宗介は辛そうに顔を歪めると、彼女の顔を少し乱暴に自分の胸へ押し当てた。空いた片手で、チェーンを掛ける。


「………少し、話そう」


彼の白いYシャツはあっという間に色を変えた。




死、なんて。

彼のいた場所以外にも、どこにだって溢れている。

平和なはずの彼女の過去にもそれは間違いなく存在していたことを、宗介はようやく思い出した。








***








ちょうど一ヵ月後。

仕事で出張中の宗介から、かなめのもとに小包が届いた。


「全く・・・渡すんなら、一緒にキスの一つくらいくれたっていいのに」


我ながらたわけたことを口走りながら、包みを解いていく。

中身ならもうわかっている。あたしがそう頼んだのだから。


出てきたのは、






そう、あの子みたいに真っ白な――ホワイトチョコレートだ。






かけらをひとつ口に放り込むと、かなめは小さく微笑んだ。









end










▼あとがき





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