未来の約束 |
人は時の中を逆らうことなく…ただ身をゆだねて流れていく。流れに乗って…成長していく。 それは誰にも抗うことの出来ない流れで…気が付けば、もう引き返せないところまで流れてしまう。 この二人も……………。 陣代高校を卒業してから早一ヶ月。 かなめは大学生になっていた。今も変わらず一人暮らしをしている。 変わったことと言えば自分が大学生になったことぐらいだろうか。陣高のメンバー…特に常磐恭子とは休日によく会ってもいる。大学で新しい友人も出来た。 勉学もそれなりに楽しんでいる……大学生活は実に充実していた。 なにごともない穏やかな日々を過ごしていた。 「………あれ、引っ越し?」 今日も大学へ登校しようとマンションを降りてくると、下にはトラックが来ていた。見ると引越センターのトラックだ。新しい住人が来るらしい。 しかしそれはかなめが住んでいるマンションではなかった。向かいの…タイガースマンション。それも……。 「……アイツがいた部屋……違う人が入るんだ…。」 アイツこと相良宗介。 かなめの護衛だと言ってやって来た人物。見た目同い年の青年のくせに裏では立派な軍人。はた迷惑なことも多かったが、これでもかなめは宗介に何度も命を助けられている。 まわりには変なヤツと言われても、かなめだけは宗介の素顔を知っていたし、理解もしていた。 「アイツが向こうに帰ってからもう一ヶ月、か……。」 そんな宗介も、陣代高校を卒業すると同時に東京を離れてしまった。どんなに東京にいることを本人が望んでも、所詮は雇われ傭兵……そんな身勝手がそうそう許されるはずもない。 今の今までいられたのは運が良かったからとしか言えない。 この日かなめは……一日中陣代高校時代のことを…宗介のことを考えていた。 引っ越しのトラックを見かけてから、気が付けばかなめは宗介のことを考えるようになっていた。 いつもいつも強情な自分は…なくして初めて大切なものがなんなのか理解する……。 「はあ。今さら後悔しても遅いのにねぇ。」 後悔は彼がいなくなって初めてした。それでも……もう二度と、今生の別れとなればきっぱり諦められたのかもしれない。 諦められない理由があるのだ。 「しばらくは忙しくて無理だろうが…落ち着いたらまた戻ってくる。」 「へ?そうなの?」 「ああ。その時また会おう。」 卒業式の日の最後の会話がこれだった。 また戻って来るという言葉……なぜ戻ってくるのか…そもそもなぜ一度向こうに戻らなければならなくなったのか…なにも聞けぬまま宗介はここを去っていった。 「あのセリフに縛られてるわよねぇ…絶対……。」 気持ちを認めても、なにも伝えられぬまま迎えた別れ。しかし、その相手もそのうち戻ってくるという。だったら、その時今度こそちゃんと言えるのだろうか…。 「戻ってくる…か………。」 もしあの時…そう言われなかったら、自分は本当に諦めていただろうか? たとえ諦める決意をしたとしても、それは今ではないのではないか? 「忘れなきゃならない時がきたら…自然に忘れられるのかな。」 宗介の戻ってくるという言葉を支えに、そして信じて……。 しかし本当にそれでいいのだろうか? 戻ってくるとは言ったものの、彼からはなんの連絡もないのだ。戻ってくるのなら…いつごろ戻れそうなのか連絡しても罰は当たらないだろう。 忙しいのはわかっている。昔とは違って一週間そこらで戻ってくるとも思っていない。 それでも………。 「戻るっつったんだから電話の一つくれてもいいんじゃないの?」 ただのひと言だけで宗介のことが忘れられないかなめ。後悔どころか、惨めになる一方だった。 宗介がいたタイガースマンション…セーフハウスに別の人が引っ越してきてから二週間。 かなめはいらいらしながらも学校に行っていた。大学の友人には何事もなかったかのように接して。 先週の日曜日は街でばったりあった美樹原蓮とウィンドウショッピングもした。 なにも変わらぬ日々を送っていたつもりだったが……それでも夜はつらかった。一人になってしまうから…という理由もあったが、あの部屋に明かりがついているのを見て…それが余計にかなめをつらくさせていた。 もしかしてあの部屋に戻ってきたのは宗介なのではないか。 そんなことまで思った。 「……なわけない、か。」 もしそうならいくらなんでも会いに来るだろう。目と鼻の先の……かなめの元に……………。 だからといって…たしかめに行く勇気もなかった……。 「……………あーもう最悪……一限の講義間に合うかなぁ……。」 翌日、どうやらかなめは寝坊してしまったようだ。大学生になっても低血圧なのは相変わらず。 大学生らしくもなく…それこそ高校生の時のくせかのごとく、食パンをくわえてかなめはマンションを飛び出していた。 そんな間抜けな姿のまま…ふと足を止め、宗介がいた部屋の窓を見上げる。 いつまでも…なんかバカみたい。 いい加減…本当に忘れてしまおうか、諦めてしまおうかとも思う。 「おっと……遅刻ちこ……っきゃ!?」 慌てて振り向き、走り出そうとしたところで人とぶつかる。 前を見ていなかったかなめもかなめだが、曲がり角付近だったせいもあって勢いよくぶつかってしまった。 かなめは尻餅をついてしまう。 「いった…………。」 「すまない。大丈夫か?」 「え?」 頭の上からかかる謝罪の言葉。驚きつつも顔を上げると……そこにいたのは……………。 「………どうした?どこか強く打ったか?」 座り込んだまま立とうともしないのでぶつかった相手…相良宗介はさらなる心配をしてしまう。 「ソー……スケ?」 「?なんだ?」 「っ………なんだじゃないわよ!あんたここ一ヶ月一体なにを……。」 「千鳥…。」 卒業してから今日まで…戻ってくると言っておきながらなんの連絡もしなかったことを非難しようとした。 が、なにも言えぬまま言葉が詰まる。視界が歪んだのだ。その直後、出てくるのは苦しい嗚咽のみ。 「すまない。任務の他にもやらなければならないことがあったのだ。休みの間はずっとそれをしていたせいで東京に戻ってきても用事があって電話すら出来なかった。」 「……いつ帰ってきたの?」 宗介が話している間少し落ち着きを取り戻したかなめは、気になる言葉を見つけた。 すかさずそれを聞く。 「ああ…二週間ほど前になる。本当に連絡出来ずにすまなかった。」 二週間? たしかその日は……………。 「ねぇ、あんた今どこで生活してるの?いくらなんでもホテルじゃないでしょ、そんな長い期間……。」 彼が東京に帰ってきたのは…つい今し方でも、昨日でもない。まさかとは思うが…あの日の引っ越しは…本当は彼だったのではないだろうか? 戻ってきても用事があったという。だったら会えなかったのにもつじつまが合う。 まさか……。 「ああ、実は……………。」 「こら、ソースケ。今日は朝一で向こうに戻るんでしょ。いい加減起きないと飛行機間に合わないわよ!!」 「むぅ。」 未だ起きようとしない宗介の視界に飛び込んできたのは…手で覆いたくなるほどの眩しい朝陽。 カーテンを開け、その前に立つかなめは…寝間着の上にエプロン姿。 「朝ご飯出来てるわよ。ちゃっちゃと起きて顔洗ってきなさい。」 言われるがまま起きる。かなめとは違って寝起きがいいはずの宗介なのだが…どうも今は違うらしい。 「また眠れなかったの?」 「ああ。」 朝食用の食パンを焼き、コーヒーを淹れながらテーブルに座る宗介に声をかける。宗介はどうにもまだぼーっとしている。 「どうもベッドの上というのは…な。」 「ま…。今さら慣れるのは大変かもしれないけどさ…。」 今の今まで…安全がどうのこうのとベッドの上ではなく下で寝ていた宗介にとって…ベッドの上では落ち着いて眠れないらしい。 「はい、じゃあこれお弁当。帰る時はちゃんと連絡しなさいよ。」 「…ああ。君も急がないと大学に遅れるのでは?」 「あたしは大丈夫。今日の一限休講になったったから♪」 「………やけに嬉しそうだな。」 「そう?」 あれから一ヶ月。 宗介は近くの新しく出来たマンションを購入してそこに住んでいる。時にはこうやってかなめも泊まりに来ているようだ。 「すまない。帰ってきたら、引っ越しの作業を手伝う。」 「んなもんはいいからちゃんと無事に帰ってきて。約束でしょ。」 「……そうだったな。」 「いってらっしゃい。」 一ヶ月前のあの日、かなめは驚きの連続を宗介の口から聞かされた。 セーフハウスもすでに引き払った宗介が一体どこで二週間もの間過ごしていたのかと思ったら…なんと林水のところで世話になっていたという。 本来ならどこかホテルに行くつもりだったのだが、たまたま会った林水に招待してもらったのだそうだ。ホテル代もバカには出来ないだろう…と。 だがこれだけならたいしたことはなかった。 むしろもっと驚いたのは……。 「その、どう言えばいいのか…いろいろ考えてはいたのだが…言葉が見つからなくてな。」 「な、なに…?」 「これを。」 宗介が差し出したのは片手に乗るほどの小さな箱。包み紙はない。むき身でかなめの前に差し出されている。 だれが見てもなんの箱なのかは一目瞭然だろう。 「その…情けないとは思うが…君なら、見ただけでわかってくれるだろうと……。」 「……ほんと…ばかなんだから……。」 「千鳥…。」 「こういう時ぐらい、こういう時こそ……ちゃんと言ってよ……。」 「………むぅ。」 かなめの言葉が痛かった。 なによりも女としてはちゃんと言って欲しいものだ。 あんなに考えて出てこなかった言葉を今すぐ出せと言われても到底無理である。仕方なく宗介は箱の中身を取り出し、かなめの左薬指にはめた。 「ぴったり………。」 「かなめ。」 「え……。」 「俺は…君の護衛という任務で……初めて君と出会った。最初は任務だったが…今は違う。自分の意志で君を護りたいと思っている。その…ずっと……。」 「ずっと……?」 話し上手でない宗介にとって、自分の気持ちを伝えるのは至難の業。だが、今はその気持ちの…一番伝えたいことを伝えられたのではないだろうか……。 ただ側にいたいという気持ち。なぜ側にいたいと思ったのか。そのすべてを。 「ずっとって?」 「だ、だからずっとだ……これから先…ずっと……出来れば誰よりも一番近くにいたいのだが…。」 「それって…。」 宗介の言葉を聞いて…そして自分の手を見る。左手の薬指を………。 正確に…的確に言われたわけではない。だが、宗介の今の言葉と自分の薬指にあるものを見ると…そうとしか考えられなかった。 「だから…その、だな……。」 「もう……ほんとに、最後の最後まで大事なこと言ってくれないんだから…。」 「すまん。」 「……ひとつ約束して。」 「約束……。」 今かなめの薬指にあの時の指輪はない。シンプルなシルバーリングだったが、それでもれっきとした婚約指輪だ。それを普段学校に行く時までしていけないのだと言う。 大事に箱に閉まって…これまた大事に保管してある。 「さてと…いくら一限が休講になったからって、今日は二限もあるからいい加減支度しないと…。」 一度自分のマンションにまで戻らなければならない。だが、もうすぐその手間もなくなる。 まだなにもないこの部屋も…いずれ生活感あふれる姿に変わるだろう。 「戸締まりはこれでよし…と。それじゃ…………いってきます。」 「ソースケの仕事はわかってるから……あんたがそれしか出来ないことも。あたしも今さらそれを否定したり、もちろんあんた自身をもう怖がったりもしない。だけどね、一つだけ約束して。」 「……なんだ。」 「必ず帰ってくるって…あたしのところに……。」 「ちど…。」 かなめが本当に言いたいことはこんな言葉じゃなかった。本当に伝えたい気持ちは…もっと……。 「……約束する。必ず戻る、君の元に。」 「約束だよ?」 「ああ。だから…もう泣かないでくれ……。」 「ふえ…。」 気が付かなかった。いつの間にか涙が頬を伝っていた。別に悲しいわけじゃない。むしろ嬉しいはず……。 そう…嬉しいのだ。 もしかしたら、これこそが一番伝えたかったことなのかもしれない。 |
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